90年台エロゲとポップアート

コラム 下書き 2026-09-17
※これは初稿・下書きです。中身は今後加筆修正する前提で、まず1本形にしたもの。特に美術手帖等の具体的な出典(号数・年月)はまだ特定できておらず、後日追記が必要です。

中古ショップの棚で90年代のパッケージを手に取ると、まず気づくのは 「絵の描き方そのもの」が今と違うということだ。エアブラシ的な グラデーション、限られた発色数のCG特有の面の分かれ方、輪郭線の 処理――当時のツールと解像度の制約がそのまま様式になっている。 技術的な制約が、結果として一つの時代を刻印する「様式」を作った という点で、90年代の美少女ゲームのパッケージアートは非常に 分かりやすい標本になる。

大衆的なメディアが生み出したアイコンを美術の文脈に引き上げる、 というのはポップアートがやってきたことそのものだ。ウォーホルが マリリン・モンローの写真やキャンベル・スープ缶を反復・引用して 「時代のイコン」として提示したように、90年代の美少女ゲームの ヒロインたちの図像も、当時の大衆的な想像力が反復して生み出した アイコン群として見ることができる。美術手帖のような専門媒体が 美少女ゲームの様式を論じることがあるのも、単なるサブカル紹介 ではなく、こうした大量生産的な図像が一つの美術史的な対象として 無視できなくなっているからだろう(※具体的な号数は要確認)。

そもそもエロゲをそのまま性的な消費物として買うことには、多くの人が 抵抗を感じる。ただしそこに「趣味性」や「アート性」という補助線が 一本入るだけで、収集という行為に対する言い訳が成立する。これは 別に目新しい構造ではない。春画は江戸時代から「好色本」として 消費される一方で、絵師の筆致・彫師の技巧を鑑賞する対象としても 語られてきたし、西洋美術における裸体表現の多くも、神話画・宗教画 という「口実」を借りることで、教会や貴族の邸宅に堂々と飾られて きた(ティツィアーノの「ウルビーノのヴィーナス」然り)。90年代 エロゲのパッケージアートを様式史として語ることも、構造としては これと同じ「アートという名の言い訳」の系譜に連なっている。

ポップアートとの決定的な違いは、90年代の美少女ゲームのパッケージ アートが「美術館に収蔵されて保存される」対象では全くなかった ということだ。フロッピーディスクやCD-ROMという物理メディアに 紐づいたその図像は、メディア自体の劣化・読み込み不能化と共に 消えていく運命にある。ウォーホルのスープ缶が美術館の壁の上で 半永久的に保存されるのに対し、90年代エロゲのパッケージは 中古ショップの棚という、いつ処分されてもおかしくない流通の 末端に置かれたまま、辛うじて現存している状態に近い。

このサイトが店舗情報を集めているのは、単に「今買える店」を 探すためだけでなく、こうした90年代特有の視覚様式が今どこに、 どんな状態で残っているかを記録する意味もあると考えている。 次回はできれば、実際の店頭で見つけた90年代パッケージの 具体的な絵柄の傾向(配色・構図・書体)を数点並べて比較して みたい。

次回予定: 具体的なパッケージ事例の比較分析(要取材)。出典の裏取りが必要な箇所は【要検証】として今後修正します。